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大阪恋物語
2010.02.20 Saturday 23:08 | 日記 '10
2月17日、大阪まで研修に行ってきた。
兵庫に住んでるからすぐに行ける距離なんだけども、
なかなか行く用事がないので1年ぶりくらいの大阪であった。
ちょうど1年か。
だから1年前に大阪で何があったのか、、
誰も知らないお話。ちょっとだけ書いておこうと思う。
今から1年前。
2月の寒い日のこと。確か土曜日。
まだ淡路島ハーフマラソン出場前だったから2月の前半のことだ。
薄い記憶の欠片を辿っていくとそんなことくらいしか出てこない。
その日、僕は大阪でとある女の子とデートをしていた。
どこに行ったのか、何をしたのか、不思議なもので何1つ出てこない。
そこだけスッポリと抜け落ちている。
・・・いや、待てよ。
雨が降っていた。
途中のビルの屋根で雨宿りしたのを覚えている。
小雨の中、並んで歩いたことを覚えている。
あれが夜だったのかお昼だったのか・・・風景は全てモノクロでわからないが。
夜になった。
どこかのお店で晩御飯をたいらげた。たわいもない会話をした。
時間になった。その子の自宅まで送った。
そして、
そのとある女の子の家でエッチをした。
もちろん彼女ではない・・。友達・・・というには浅すぎる。
良い言葉ではない、が、成り行きというやつに近い。
保身の為、弁解しておくが、もちろん了解の上の出来事である。
そう、相手も自分も了解している。
“割り切る”とは言葉の如く、割って切ることであり、この時も感情を割って切り離していた。
割り切っている。
割り切っている。
いるが、僕の心はどこか沈んだ。深く。
“不快感”
1週間経て、残った感情は実にそれであった。
それだけが拭いきれなかった。
理由はわかりきっている。
自分の気持ちは全く別のところを指していたのだ。
なんせ、その時の自分にとってその出来事はただの重荷へとなった。
世の中には、いや、身近にも、色んな子と割り切った関係をしている人間がいる。
この年になると回りの人間のほとんどはそんな生活をしている。
自分の性格は自分で理解している。
だから、不快感にいたった自分がいたことに驚いた。
そんなこと割り切れる人間だと思っていたから。
割り切ることなど容易いことの筈だから。。
べっとりと絡みつく不快感だけが、その考えに反していた事実。
まだ先に進めない。
考えた結果。
『禊』といえば良いのかな。
そういった自分の感情と別方向にあるものを全て振り払おうと考えた。
「たぶんもう逢うこともないけど・・・」
そんな前文でメールを打ち始めた。
誰も傷つけていないと割り切ったものの、その実、自分を傷つけていたということがわかったから。
人は弱い生き物、誰かと支えあって生きていく・・とは良く言ったものである。
僕にとっては、その支えこそが苦痛なのだ。支えるのは自分自身。
他人を支えあう程の力など備わっていないのだ。
「さようなら。」
打ち終えて携帯を閉じた。
眠りについた。
朝起きると、最後の返信がきていた。
わずかな文章の中に言葉の力がこめられていた。最後に
「ありがとう。あんた大物になるよ。」
そんな大阪恋物語。
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